【目次】
何で忙しいの?
私の個人的なことで申し訳ないが、私の父は祖父が始めた町工場を経営していた。私がまだ幼い頃、祖父の時代の工場はそこで働く従業員(職人さんと呼んでいた)も20~30人ほどいて、結構それなりに賑やかで、周囲からも一目置かれるような存在だったように記憶している。何しろ大手家電メーカーがそんな町工場にまで来て、取り引きを迫ったというくらいだったと聞いている。しかし、そんな良い時代もすぐに過ぎ、後は徐々に従業員の数も減っていった。父が継いだ時には、まだ往時の面影くらいは残っていただろうが、時代を経るに従って衰退に拍車がかかっていった。
私はそれを横で見ていて、正直、父を経営者として尊敬はできないなと思っていた。まず第一に子供の私から見ても、父は人が良すぎた。借金の保証人にこそならなかったが、地域の付き合いで何か頼まれごとがあれば、自分がどんなに忙しい状態にあってもそのことは省みずに、他人の世話ばかりしていた。父には父なりの考えがあったと思うのだが、そんなことを周囲に話すこともなく、常に一人で「忙しい、忙しい」とそれを口癖にして走り回っていた。だから周囲の人に父は好かれていたが、私はそんな父を反面教師にしていた。
毎日ワクワクしてますか
そんな父は仕事でよく得意先回りをしていた。多分、顧客の声を拾い回って、自社の製品やサービスの改善につなげようとしていたのだと思う。でもそれも私から見れば、「明らかに時代遅れの機械を作っていて今更改善もないだろう」とくらいにしか考えていなかった。今もいろんな町工場を拝見する機会もあるのだが、やっぱりある程度製品やサービスが出そろったり、それらが成熟してきた時期からは、顧客の声を聞くだけでは成長が難しいのではないかと思う瞬間がある。新製品を投入してからの成長が鈍化していて、いかにも目に慣れた製品が並び、そこに何となく活気や新鮮さがなくなっているように感じるのだ。
「顧客の声を拾い上げるだけでは足りないのではないか」と考える時があるのは私だけだろうか。顧客が感じる不満を解消するだけではそれ以上前に進めないのかもしれない。一から製品やサービスを見直してみる覚悟がどこかで必要なのかもしれない。ふと気が付くと、私も自身の会社を立ち上げて数年が経つが、毎日時間に追われる仕事をしているだけで、最近何か独創的なことをしているか、自ら心を躍らせるようなワクワクする気持ちで仕事を続けられているかと振り返ったとき、そうではなくただくたびれて仕事をこなすだけの毎日を送っていることに気が付く。その姿はかつて私が嫌っていた父と同じ姿ではないだろうか。
顧客の声を聞かない挑戦
私がお話を聞いたあるデザイナーの方も、かつて閉塞感に襲われたときがあったという。ある時思い切って「顧客の声を聞かない」挑戦をやってみて、そこから仕事が楽しくてたまらなくなったという経験をお持ちだった。彼は言う。「顧客が想像していないボールを投げることは本当に勇気がいる」と。実際に新作の反応が悪く売り上げにつながらなかったときは、自分自身が否定されたようにショックで、何日も立ち直れないシーズンもあったそうだ。怖くてハサミも動かせない時期もあったという。それでもこれまで必ず定期的に自分の考えたデザインを出し続けてきたそうだ。
それで分かったことは、「自分の感性を信じてみる勇気」が人々の心を動かし、数字を作り上げることもあるということだったという。顧客の声を聞くことを大義名分にしているが、それはひょっとすると、ただデータ分析をして安定した売り上げを求めているだけかもしれない。しかし、そんなものが果たして人々の心に感動を与えられるものになるのだろうか。「数字では計れない感動を生むのは、個人の主観から生まれる創造なんだと思う」とそのデザイナー氏は語る。「マーケットイン」の考えを取り入れながら、単に主観でまず製品を作ってみて反応を試すという「プロダクトアウト」ではないものづくりが求められているのかもしれない。
何のために作っているのか
そのデザイナー氏は、顧客の声を大切にする「マーケットイン」と作り手の主観を掛け合わせることで、顧客とキャッチボールをしている感覚があるという。そうやって生まれたアイデアをさらに昇華させていくことが大切なんだと。
私は情報が洪水のように押し寄せてくる日常からあえて離れてみて、一人になれる時間を少しでも持ってみることを続けている。自分が何と向き合いたいのか、何をしたいのか、そんな問いにずっと向き合いながら、自分の本心を探り続けている。でもそんな風に言っているが、自分の原点はやはり顧客の声を聞くということから始まっているのは間違いない。
人それぞれに異なる主張を持っている。そしてその表現の仕方も千差万別だ。例えばものづくりを仕事にしている人は、言葉で主張することが下手であっても、作っているものを通じて自分の感性や思いを伝えることができる。でも当然ながら、作りっぱなしとか、独りよがりの自己表現では商売にならない。「何のために作っているのか」を合わせて追求することで、世の中に受け入れられるものを考えなければならない。それが私が父から受け継いだ宿題でもある。