【目次】
顧客の要求に応えられない売り場
先日パソコンを買い換えるために、大手家電量販店に行った。ところが売り場には多くのパソコンが並んでいるのに、その違いがまったく分からない。かろうじて推測できたのは、採用されているCPUの数字が違っていて、その数字の大きい方が動作速度が速そうだということぐらいだ。店員も少なくてなかなか捕まらないし困っていると、まだ店で働き始めたばかりの感じの若い店員がやってきた。失礼ながらあまり頼りになりそうになかった。案の定、私が希望する使い方を話したのに、私の話しをまともに聞いていないのか、勧める機種がトンチンカンだ。私のイライラは募るばかりだった。
パソコンも「コモディティ化」していると言われる。普通、「コモディティ化」と言われると、商品の間で差異化がなくなり、消費者の選択も価格重視になっていくようだが、私のパソコンのようにいざそれを購入する場で店員がうまく顧客の要求を汲み取れずイライラさせられると、実際の売り場ではなかなか商品のコモディティ化に対応するのも難しいのかなと考えさせられた。周囲を見渡すと、私と同じように困っている様子の中年の女性もいた。私だけではなさそうだと思うと、なおさらこの「コモディティ化」について考えさせられた。
進むコモディティ化
「差異化できない製品やサービスはない」と言った言葉を残したのは、30年ほど前のハーバード大学の教授だったとされる。生産財でも消費財でも、サービスにおいても他社との差異化はマーケティング論理の出発点だったとされる。ところが今日では企業間の技術水準が同質化して、製品やサービスの差異化が困難になり、どのブランドを取り上げても顧客の側から見ればほとんど違いが分からないという状況になっている。このことを指して「コモディティ化」と呼んでいるが、近年こうした動きはますます顕著になっているとされている。
実際、コモディティ化はあらゆる分野で無視できない課題となっている。コモディティ化と似た言葉に「成熟化」というのがあるが、これは似て非なる言葉だ。多くの市場はすでに成熟化しており、そうした市場においてはコモディティ化も起きやすいとされているが、成熟化が市場の成長性に焦点を当てているのに対して、コモディティ化は製品やサービスの差異化水準を見ている。だから市場が伸び続けていてもコモディティ化は起きるし、反対に差異化がなされていても成熟化は起きる。この2つは異なる次元の話しとしてとらえる必要がありそうだ。
ソリューション対応の動き
コモディティ化の動きが避けられないとすれば、それにどう取り組めばよいかが企業の悩みどころだ。それに対してまず取り上げられているのが、「ソリューション」対応だろう。これもさまざまな企業で「ソリューション」という言葉が使われているので一度はお聞きになったこともあるだろう。要は企業が提供する製品やサービスを単独でとらえるのではなく、顧客の問題解決を実現する方法としてとらえることを指す。一つ一つの製品はたとえコモディティ化していても、複数の製品やサービスを組み合わせることで差異化を実現しやすくなり、価格競争を回避できるようになる。
この場合、顧客ニーズの広がりを認識する必要があるとされる。つまり、特定の機能や目的を満たそうとする視点ではなく、ある状況や場面などを一括して解決するという視点が求められるのだ。だから対応する場合にも自社の製品だけでは収まらず、場合によっては競合他社の製品が組み込まれることもある。そうすることで一時的に自社の利益には反することになるかもしれないが、長期的に顧客からの信頼の獲得に結び付けるのだ。実態としては「ソリューション」と銘打ちながら、なかなか自社製品やサービスを優先したり、単なる売り文句に利用している企業が多くあるのは気になるところだが。
市場の枠を越えたアイデアを
コモディティ化が進むことで、顧客が入手する製品やサービスの品質向上が図られている点は喜ばしい限りだが、私が冒頭の店頭で経験したような購買プロセスではまだまだ改善が進んでいない。製品の仕様の質問に対する担当者の答えが要領を得なかったり、求めるサービスを提供する企業が見つからなかったり、金融機関に行っても何十分も待たされたり…と、不快を思ったり、不満を感じたり、時には怒りを覚えたりしたことのある経験を誰しも持っているのではないだろうか。消費者が求める製品やサービスを得るまでの流れを通してみると、コモディティ化の恩恵を十分に得られていないことは多い。
今日、消費者は過去のどの時代よりブランド数が増え、顧客の選択肢は飛躍的に増加している。インターネットの普及もあって、製品やサービスの情報量は飛躍的に増大した。一見すると購買プロセスの質は高まっているようにも思われるが、実際に消費者が求める製品やサービスの購買に費やすエネルギーは、まだまだそうした恩恵を素直に反映したものになっていない。私は逆に、却ってストレスが増しているのではないかという風にまで感じる。そんな時、これまでの細分化された市場の枠を越えた新たなアイデアがますます求められているように感じる。