【目次】
一方的な目標の結果
仕事でもプライベートでも「目標は高めに設定した方が良い」と思う人はいても、「目標は低い方が良い」と思う人はいないだろう。
私の関わったシステム会社が、某社の品質管理システムの開発を受託することになっていた。当初のスケジュールでは12月末を納期としていたが、開発着手の予定日を過ぎても、開発に必要なシステムの要件を確定することに思いの外時間をとられ、結局2週間遅れで開発がスタートすることになった。この時、開発を担当していたプロジェクトマネージャーは「多少無理をすれば納期に間に合う」と判断し、当初の納期を約束したのだった。
部下は当初から「そんなの無理です」と反対していたのだが、プロジェクトリーダーが「うちの開発スピードを見せつけるチャンスだ」という呼びかけに、しばらくの間、プロジェクトは進んでいた。ところが開発着手から1か月半後、依頼側の会社から突然システム要件の変更が求められ、しかも当初の納期を守るようにと要求してきた。さすがに社内の誰もが「それはいくら何でも無茶過ぎる」と思ったのだそうだが、この時もプロジェクトマネージャーは「分かりました」と回答をした。
それからチーム全員が会社で寝泊まりする日々が3週間ほど続いたそうだが、ある日1人の部下が会社に来なくなり、そしてまた1人が来なくなりした。その抜けた人員の補充にも時間がかかり、結局、納期は3か月も遅れてしまい、その上、ペナルティーとして大幅な値引きもさせられる結果になってしまった。
無理と無茶
それからこの会社の社長は、「目標は多少“無理な”くらいに設定しないとダメだが、“無茶な”目標はもっとダメだ」と社内に釘をさすようになった。その無理と無茶の違いについては、「理論や理屈を理解していて、その上で行動するのが『無理』、理論や理屈を考えることなく、またはそれを知らずに行動するのが『無茶』」と説明している。この会社のその時のプロジェクトマネージャーは、顧客の「無茶」な要求を認めたばっかりに会社に大赤字をもたらし、それどころか、将来有望な若手開発者を2人も失うことになったのだった。このように確かに、目標設定は難しいものだ。
毎月50の仕事ができる人やチームが50の目標を掲げて達成できたとしても、そこにその人やチームの成長は見られない。ただ「停滞」しているだけだ。そこで仮に60の目標を設定したとする。これまでの仕事量と比べると1.2倍の数字だ。理屈から考えて、「それは無理だ」と考える人も多いかもしれない。しかし、それが納得できる内容だと見れば、人間の脳はその目標に向かって勝手に動き出すものだ。たとえその結果、60の目標が達成できなくても、50が55になれば、それはそれで「成長」したことになる。しかし、その目標がいきなり100だったらどうなるか。誰も本気で取り組もうとしなくなるのがオチだ。
どちらか一方がしわ寄せを被る目標はおかしい
もう一つ、先の例で言えば、プロジェクトを発注した側の方は、何の問題もないと考えてよいだろうか。もちろん、納期が遅れたのはその受け手の問題だから、発注した方には何の問題もないと言えなくもない。世間でも同じような商品やサービスを提供する会社が複数あった場合、そのどちらと取引をするかとなると、「一番値段が安くて、納期についても無理を聞いてくれるところ」という基準で決められるのが一般的だろう。自分の側の都合だけで考えれば「妥当な」判断かもしれないが、そんな取引では先の例のように相手が無理を重ねているのかもしれない。
相手との関係が一過性で終わるものならまだしも、そんな関係はビジネスではむしろ珍しいのではないか。関係が長く続くのであればあるほど、どちらか一方にしわ寄せが寄るような取引を強制しても、それは互いのためにはならない。しわ寄せを抱える側は我慢した挙句、最悪つぶれてしまうことだってあるだろう。そこまで行かなくても、取引を長く続けることができないのは当然だ。長続きできないようなフェアではない取引からは「パートナーシップ」は生まれない。逆にこちらが困った立場に置かれた場合は、あっさりと取引を打ち切られて終わってしまうだろう。そんな状態からは互いの信頼関係は生まれない。私の経験上、繁栄する企業というのは厳しい中にも信頼を重んじているものだ。
目標にも愛情を
結局、掲げる目標というのは、それが社内目標であれ、取引先などの他社と関わる社外目標であれ、そこに愛情が感じられるものでなくてはダメだ。そういう意味では、やたら低い目標というのもそれ自体、楽で良いのかもしれないが、そこに本当の愛はあるだろうか。たとえ自分自身に対する目標であっても、自己肯定感が感じられないのでは受け入れることが難しいのではないか。
最近では目標を掲げる際に、「コミットメント」という言葉が使われることも多いが、その場合、さらに「絶対に守る」という意味合いが強くなる。相手が大切な人や仲間、会社であればあるほど、掲げる目標に対して相手を追い詰めるような形に陥ることは避けたいものだ。
目標を達成して一時的に達成感を得たとしても、次から次に押し寄せるノルマの波に押しつぶされる人や会社はあまりに多い。何のための目標設定かを根本から考え、丁寧に運用していくことが欠かせないように思う。そうして初めて目標を設定することのメリットを享受できるのではないだろうか。