【目次】
意外に多い名刺を持たない人たち
先日、従業員の意識改革に取り組んだというコンサルタントの方に話を伺う機会があった。その方の取った方法の一つというのが、従業員全員に名刺を持たせることだったという。それまで名刺なんてビジネスマンであれば大方の人は持っているものと考えていた私は、その話を伺って、実はそうではなかったのだと気付かされた。考えてみれば、もともと農業や漁業、幼稚園や小中学校の先生など、名刺を持たなくても済む職業はたくさんありそうだ。それにしても、昨今は消費者に直接販売する農家の方や、先生であっても異業種との交流会などに積極的に参加しておられる方も多く、そうした方々との名刺交換は私もさせていただいたことがある。
それはともかく、企業の中にいても経理など社内管理の仕事に就いている方なら、新たに自己紹介しなければならない機会もそれほどないだろうから、名刺の必要性は感じないのかもしれない。だから名刺を持っていない方もおられるということについては、何も特別なことではなかったのだろう。私が話を聞いたコンサルタントの従業員の意識改革を行った企業というのは旅館だった。旅館でも厨房で働いている人や、客室係、掃除係などを担当している方もそれまで名刺を持ったことがなかったのだそうだ。そう言われれば、それらの方々にとっても取り立てて必要性はなかったのかもしれない。
働いている場所に誇りを持つ
しかし、それらの方々にもあえて名刺を持ってもらったのだと、このコンサルタントの方は話す。そうして全従業員が名刺を持つことで、改めて自分たちがそのホテルの一員であるという意識を持ってもらった。「何より自分の働いている場所への愛着がなければ企業は良くならない」というのがコンサルタントの方の考えで、愛着を持つためには名刺を持ってもらうことは必須だと考えたという。だから、その名刺の表は普通の名刺と同じように肩書や名前が書いてあるだけだが、裏には、ホテルの中でそれぞれの好きな場所の写真や自分のプロフィールなどをある程度自由にデザインできるようにしたのだそうだ。
これも自分たちが働いている場所がどんなに素晴らしい場所かを自分自身で再発見してもらう仕掛けだった。「いやでも」自分の好きな場所を見つけなければならない従業員たちは、それでも思い思いの場所を選び、その場所を選んだ以上はそれ以降、胸を張ってなるほど素晴らしい場所であると誇れるように常に気を配るようになったそうだ。それはある人は表玄関であったり、ロビーの天井の模様であったり、中庭であったりといった目に触れやすいところだったが、フロントや厨房など、自分が担当している職場を好きな場所に上げた方もいたという。
お客様とのコミュニケーションも向上
たかが名刺1枚のことではあるが、お客様に名前を覚えていただくこともでき、従業員一人ひとりの責任感も強まり、そこから個人の意識も変わっていった。こうなると、最初は無理やりに自分の好きなところとして上げていたところも、始めから自分たちが働いている場所の素晴らしさを知っていたかのように紹介し始めるのが面白いところだ。中にはお客様に配った名刺から話が弾み、「もっと面白い名刺を持った人がいるのですよ」と言ってそれまでならまったく接点のなかった従業員を紹介し、名刺を手渡す光景も現れ始めた。ここまでくると、名刺がお客様との積極的なコミュニケーションツールとしても機能し始めた。
その日のその時間帯に働いている従業員の数だけいろいろな名刺が集められる、ということで、そのホテルではそれぞれに異なった図柄の名刺を30枚集めることができれば、ちょっとした特典まで用意するようになった。すると最初は子供たちがゲーム感覚で従業員たちに話しかけるようになり、子供たちが喜んでいる姿を見て、お父さんやお母さんもうれしくなるという循環も生まれるようになった。何よりこうした思い出によって、子供たちが将来の大切なお客様になっていく可能性もある。
広がる効果
引っ込み思案だった従業員たちも徐々に変わっていったという。お客様から話しかけてもらうことに喜びを感じるようになり、同時にお客様に喜んでもらうことが楽しくなってきたのだそうだ。そしてまた、従業員同士の横のつながりも生まれるようになっていった。
たった一枚の名刺だが、その持つ力というのはこれほどまでに凄い。私はその話を聞いて、普段その名刺の持つ力を活かしているだろうかと反省をしている。それ以前に、名刺を持っていない方も他におられるだろう。今日買い物に行ったところのスーパーの店員さんはどうだろう。病院で働く看護師さんたちはどうだろう。工場で働いている人たちは…。そうした方々にも名刺の持つ効用を活かせばどうだろう。ひょっとしたら、経営者なら従業員の入れ替わりが激しかったり、それによってかかるコストの計算もしているのかもしれないが、それを上回る効果が出るように工夫の余地はいろいろあるのではないだろうか。私も真剣に考えるとしよう。