【目次】
「負け」をきちんと認める
起業しても思い通りに立ち上がるとは限らない。否、思い通りにならない方が多いはずだ。私もそうだった。「絶対にこれはいける」と思って始めた事業になかなか顧客は集まらなかった。私の周囲でもそうだ。「絶対に売れると思った商品が売れない」「絶対に当たると思って始めたキャンペーンが閑古鳥が鳴いている状態だった」といったことは日常茶飯事だ。こんな現実を前にしたとき、当初私はその現実を受け入れることができずにいた。「これは世の中どこかが間違っている」「この商品を買わないお客さんの方がおかしい」などと、世間や他人が悪いと決めつけてしまったときがあった。
これが続いていれば、私はとうの昔に今の会社をつぶしていただろう。その状況が打開できたのは、まず自分の「負け」「間違い」を認めたことだった。考えてみれば、スキーでも柔道でも初心者がまず習うのは「受け身」からだ。何故なら、この受け身を習得しなければ、いざというときに大けがをしてしまうからだ。また、受け身を身につけているからこそ、慣れたころに多少の冒険技にも挑むことができるようになる。これは仕事の上でも同じことが言える。うまく負ける方法を身につけることで、事業を大きく成長させることもできる。逆に、その方法を身に着けていないと、始めからハードルを下げたり、一度の失敗で立ち上がれないほどのダメージを被ったりする。
現状に満足している時か
仕事でも何でもちょっと苦しい時期が続いたりすると、「がんばらなくていい」「あなたらしく」といった甘い言葉の並ぶ本などを読んで、自分で自分を慰める日を送り勝ちだ。そんなことをしても、何も事態が打開できるわけでもなく、ましてそこから成長できるはずもないことを分かっていながら、なかなか自分のテンションを切り替えるきっかけをつかめずにいたりする。
もちろん、いつも現状に満足せず、常にハングリー精神を持っているのが良いのかと言えば、そんなこともない。「足るを知る」という言葉もあるように、人に感謝したり、日常の何気ないことにも幸せを感じるような謙虚さがなく、最後に欲をかいて失敗してしまうということもよくある話だ。
しかし、まだ私のような何も遂げていない人が始めから「足るを知る」と訳知り顔で言ってしまうのはいかがなものか。いたずらに現状肯定につながると、適当なところで満足してしまい、それ以上に成長しなくなる。そんな時、「老荘思想」を源にする「足るを知る」という言葉が、もともと為政者や権力者を諫めるための言葉であることを心得るべきだ。
小さな挫折とそれを乗り越える経験
人は誰しも心に秘めたコンプレックスを持っている。そのコンプレックスを解消する方法として有効なのは、小さな挫折とそれを乗り越える経験を繰り返すこととされる。この繰り返しによって、自分自身をアップデートさせ、少々負けても折れない心を作ることができるという。人のやる気を研究する「欲求理論」で知られるハーバード大学のデビッド・マクレランド博士は、目標達成率が50%ぐらいのことに取り組むときが、人のモチベーションが最も高くなることを心理実験を通じて証明して見せた。努力と才能次第で半分ぐらい勝てそうなゲームに人は一番熱中しやすいのだという。
人は理想を目指す中で、いろいろな壁にぶち当たる。但し、「自分はやればできるんだ」と信じられるほど達成動機を高めていれば、それを乗り越えようとするモチベーションが湧いてくる。つまり自分を成長させるゲームをしているのと同じような感覚になるのだという。仕事においても、勝負して負けることへの心理的なハードルが低い人ほど、負けを怖れるばかりに勝負を避けるのでなく、困難に挑んでいく。その結果が負けだとしても、勝ったときよりひょっとして多くのものを手に入れていたりする。その新たに手に入れたもので自分をさらにアップグレードし、事業だって成長させることができる。
「負ける」謙虚さも必要
学んで成長するということは、本質的に「今のやり方や考え方を一端手放す」ということを意味する。そのためには、「負ける」という謙虚さも必要になる。誰しも、「自分を成長させたい」「事業を成功させたい」という思いを持っているはずだ。でもそれができる人とできない人がいる。結局、両者を分けるのは、「本当に変わりたいと思っているのか」という覚悟の有無だ。よくあるのが「変わりたい」という風を装いながら、本心では「今までのやり方を手放したくない」と思っているというものだ。
リスクを取って挑戦し、経験を重ねれば重ねるほど強くなれる。これは仕事だけでなく、スポーツの世界でも同じだ。変に妥協する選手の成長はそこまでだ。しかし、私たちも大人になるほど負けることを怖れるばかりに、勝負を避けることの方が多くなる。あえて困難なことに挑戦し、「きちんと負ける」ことが学び方を学ぶ上でとても大切になってくる。負けても立ち上がれるという勇気を持って、いつまでも小さな失敗と挫折を繰り返しながら、それを乗り越える経験を積める自分でありたいと考えている。