【目次】
甘えた人間が増えていないか
職場でのパワハラとか働き方改革とかが話題になる度、それが世の中の流れと分かっていながら、どうも人間がやわになっているのではないかと思ったりもする。こんなことを言うのは、年を取った証拠と笑われそうだが、最近月刊誌の「致知」7月号を見ていて、そんな思いをさらに強くした。
そこに元トヨタ自動車技監の林南八氏の若い頃の経験が語られていた。少し長くなるが、林氏が若い頃、大野耐一氏と鈴村喜久男氏という有名な二人の師匠について学ばれていた時の話を紹介したいと思う。
それは林氏が入社してまだ5年目の時のことだった。トヨタ自動車の生産方式の柱の一つに「異常があったら止まる、止める」というのがあるが、乗用車の組み立てを行うベルトコンベアで一か所頻繁に止まってしまうつなぎ目があった。
「鈴村さんがチョークで床に丸を描いて、『林はここに立って見とれ』と。何を見ればいいのかよくわからんまま半日立たされた。鈴村さんが昼頃に来て、『何か分かったか』と聞かれたので、『分かりません』と答えたら、『おまえな、節穴の空いた五寸板を拾ってこい!』と。
負けん気の強さが無ければ生きていけなかった
えらい剣幕で怒鳴るもんだから板を探しに行こうとしたら、『たわけ!何も見抜けんやつは節穴の開いた板と一緒だ。しかし、お前には給料がつく。そのお前の代わりに板を立てとけ』と。
『くそぉー』と思って、そこからまた観察し、夕方に『こういうことですか』と尋ねると、『分かっているならなぜやらない。晩のうちに直せ』とまた怒られた。それで深夜2時頃まで一所懸命やってたら設備保全の人が来て、『仮眠室で寝てこい。後はこっちでやるから心配するな』と助けてくれた。…」
今から見れば、パワハラあり、残業時間の問題ありの超ブラック企業だ。しかし、林氏の例は少し厳しすぎたかもしれないが、昔はそれが特別なものでもなかった。現に私にしても、ほぼ40年近く前の話にはなるが、先輩から仕事の仕方を丁寧に教えてもらえるような職場ではなかった。いきなりダメ出しをされ、とにかく自分で考える。それで分からなければ、その人間はそれまでの話。次の人事異動でどこに飛ばされるかも分からない。だから必死で食らいつこうとする。それしか生き残る道はなかった。だから今のいろんなハラスメントの問題を見ても、働き方改革の問題を見ても、どこか生ぬるさを感じざるを得ないのが正直なところだ。
自己成長のための効果的な方法を探る
林氏のような経験が間違いなく当時の働く人の成長を促した。もちろん、だから「昔は良かった」的な話をするつもりはない。あのドラッカーも「人の働きは変化していく」と述べているように、企業家が社会の変化をイノベーションとして結実させるように、私たち自身も社会の変化に適応していかねばならない。働き方の変化は、事業が変わることや仕事が変化することに起因する。これまでもその変化に対応してきたし、それはこれからも変わることはない。
問題はそのための議論をしているかということだ。働き方改革が議論されても、働く者の権利、あるいは企業にとって都合のよい体裁づくりばかりが主張されているようで、どこか本質が置き忘れられているように感じる。もちろん変動期は今も続いている。今後は人工知能の出現により多くの仕事がなくなるとの予想もあるが、大切なことは目の前で起こっていることをよく観察し、変化を機会に変えることなのではないか。「人生100年時代」を迎えている今日では、人の一生の内でも何度か働き方の変化が求められるようになる。そのためにも、自らをマネジメントすることが大切だ。
だから働き方改革の本質は時間の長短ではなく、効果的な仕事を通じて成果を上げ、自己成長することにあるはず。成果とは外の世界に変化をもたらすこと、つまり顧客に何らかの変化をもたらすことだ。誰かの役に立つことが、働くことの本質だということを忘れず改革を進めなければならないと思う。
働く環境を今の時代に合わせる
折りから、東京オリンピック・パラリンピックの交通緩和をきっかけに、日本の働き方改革を推し進める動きにも注目が集まる。国が2017年から実施している「テレワーク・デイズ」というイベントがある。その「2019」の参加登録がスタートしたが、2020年の前年ということもあって、目標は大きく3000団体、延べ60万人を掲げる。期間も1か月以上が設定されており、働き方を変えてみるよい機会になりそうだ。
老婆心ながら言うと、「テレワーク」は最早「子育て女性社員のための在宅勤務」ではない。「平成30年度通信利用動向調査」によれば、企業がテレワークを導入する目的の1位は「定型的業務の効率性(生産性)の向上」にある。自宅や民間のコワーキングスペースなどを「サテライトオフィス」として利用することが当たり前の時代も案外早くやってくるかもしれない。
できればそうした議論の中に、若手こそが自分たちの問題として、働き方を自ら真剣に「こうあるべき」「こんな風に働いていきたい」との提案をするべきだ。若者の仕事に対する真剣さ、純粋さはいつの時代でも代わらないはず。大企業などではなかなかそれは難しいのかもしれない、むしろ中小・零細企業から若手を入れた議論の進むことを期待している。