【目次】
「熱い思い」で勝負
経営者の集まりに出かけると経験豊かな企業のトップもおられ、起業したばかりの私などは恐れ多い気持ちにもなるが、一つだけ負けないものがあると感じている。それは自分がやろうとしている(やっている)ことへの「熱い思い」だ。どんな企業でも創業者の熱い思いからスタートしたはずだが、企業が経験を積むに従って、あるいは大きくなるに従って段々それを失ったり、全社に及ばなくなってくるのは仕方のないことなのか。末端の社員に伝わるのが難しくても、企業のトップでさえも「サラリーマン化」しているのではないかと感じられることが少なくない。
企業のトップであっても、給料をもらってただ働いているだけのようなタイプなのではないかと思わせられることがある。そこに「熱い思い」の感じられないことがままあるのだ。たとえ創業者であっても、長く社長を務めているとそうなってしまうのかもしれない。今さらの話だが、企業の個性はやはり社長が作るものだ。それが企業の命運を決める。変化の激しい時代にあって、社長の時代感に基づく決断次第で企業は浮かびもすれば沈みもする。社長の責務は従来とは比べものにならないくらいほど大きくなっている。時代の上にただ乗っかっている社長でしかないなら、どんな大きな、経験の豊かな企業も恐くはない。
「サラリーマン化」の恐さ
社長の「サラリーマン化」を許す企業に将来はないといっても過言ではない気がする。社長の経験は誰しもが持てるものではないが、それをチームに譬えても同じことが言える。チームの目的に向かって邁進していないリーダーの下にいくら人が集まっても、強いチームになることはあり得ない。私も現場ではよく「とりあえず(適当に)やっておいて」という指示がリーダーからなされることがあった経験を持つが、そのようなリーダーの下ではどれほどの人が熱心に貢献しようとするだろうか、考えただけでも明白だ。「とりあえず(適当に)やっておいて」としておくようなリーダーの下では目的がぶれ、皆がバラバラになり、組織が弱くなるだろうということは想像に難くない。
企業などの組織の中にいて、社長やリーダーが持つ以上の熱い思いを一体誰が持つというのだろうか。私自身の経験からしても、そもそも「頑張っている自分を見られる」ことに対して、誰しも「恥ずかしい」という思いを抱きがちだ。増して、頑張っていたのに目標を達成できなかった時の恥ずかしさといったらないことは良く分かる。学生時代によく、「試験勉強を全然していないのに、やばい!」と周囲に言ってしまうあの感じだ。あえて、ポーズをとることで自尊心を守ろうとするのだ。
空気をコントロールする
だから社長やリーダーを務めるトップには、「いい大人がみんなで頑張るなんて恥ずかしい」と斜に構える人たちを、「みんなで頑張ろう」という方向に変えることが大切になる。そのために、自分が一番「恥ずかしい人」つまり、「熱い思いを持った人」になり、仲間の空気をコントロールすることが必要なのだ。起業家になったばかりの人やこれから創業しようとする人たちにはそれがある。だから経営者の集まりの中でも特に創業者の周囲には話しを聞きに人が集まる。そして、「それは違うんじゃないのか」「いや、こうした方がもっと良い」といった意見なども取り入れながら、大きく育っていくのだ。トップは何の躊躇なく皆の意識がトップの目的に向くように、一番先頭を切って突っ走ればいいのだ。
ただ、よく勘違いする人がいるように思うが、頑張ることは「声が大きい」ということと同じではない。何となく、頑張ることに対して、周囲に「頑張るぞ!」と声を張り上げているようなイメージを持ちがちだが、それは単なる「応援」にしか過ぎない。マラソンでも「頑張れ」と声援を送るのは観客の方で、選手はただ自分の頑張っている姿を見せることによって、周りのモチベーションを高める。
最後まで諦めない
「社長とは孤独なものだ」とは良く言われることだが、実際に「頑張るぞ!」と周囲に言ったところで、それは自分の思いを皆に押し付けているだけかもしれない。ここは、気持ちを押し付けるのでなく、自分の熱い思いにさらに磨きをかけることをまず第一にしなければならない。
逆に、「もうダメかもしれない」と思う時も、周囲に決して諦める姿を見せてはいけない。妥協しない姿勢を見せることで、自分が一番頑張っていることを周囲にも分かってもらうことができる。実際、「なんとかする!」と最後まで諦めないでいると、不思議と何とかなるものだということは私の拙い経験からも言える。
最後まで頑張る姿を崩さずにいれば、周囲も徐々に自尊心に覆われた恥ずかしさの殻を破って、秘めていた情熱が顔を出すようになり、ついには積極的に支えてくれるようにもなる。起業家とはその最初の「火種」のようなものだ。その火種をいつまでも失わずにいることも大変なことなのだが、それはまた別の機会にお話しすることにする。少なくとも、起業家と「サラリーマン化した経営者」との大きな違いだけは明白だ。逆に、その違いをしっかり認識できている間は、たとえ「サラリーマン化」しているように見えてもまだまだ大きな可能性が残されているように思う。