【目次】
すでに日常生活の中に入っているAI
世の中AI(人口知能)が流行りである。この流れを止めることはできないし、これに逆らってはもう生きていけないかのようだ。2016年にはグーグルの開発したAI「アルファ碁」が、碁で人間の世界チャンピオンに勝利してしまった。実用化の面では、すでにお掃除ロボットの「ルンバ」に利用されていたり、近年自動車メーカーが力を入れている車の自動運転技術もそうだ。これまで生産現場などでは産業用ロボットが活躍してきたが、いよいよオフィスの中にもAIを活用したRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)の導入も始まっている。
昔からAIでよく言われてきたのは、「いずれ人間の知能を超えてしまうのではないか」ということだ。2045年にはそのAIが人間の知能を超える「技術的特異点(シンギュラリティ)」を迎えるのではないかといった声まである。このシンギュラリティへの到達によって、AIは完全に人間の手を離れ、そして人間に対して非常に強い影響力を持つ存在へと急変すると言われている。AIの暴走をテーマにしたSF小説や映画なども多くあるのはそういった懸念を表している。
徹底するAI、徹底できない人間
AIの描く未来を恐れる気持ちは私にもある。しかし、私の乏しい知識から言えば、AIも所詮は人間の脳の学習則を取り入れ、それを徹底しているだけとも言えるのではないだろうか。
人間なら誰しも成功した時は報酬を得て、その時のパターンを強化して体にしみ込ませようとする。逆に失敗したと思ったら、失敗に至った原因を考え、目標とどれだけズレてしまったのか、その誤差を明らかにしてズレを減らすようにする。また、他人からもできるだけ多くの成功例を覚えて、そのパターンを学習しようとする。
AIは、そうした人間なら誰しも行っていることを実行しているだけだ。ただ、人間より優れているところは、それを徹底してやるというところだ。逆に、人間が何故AIに負けるかといえば、人間は徹底してそれをやらないからだ。何故やらないのか、できないのかと言えば、疲れたり、飽きたり、諦めてしまうからだ。AIにはそれがない。何時間でも何日でも何年でも働いて、パターンを学習しようとする。失敗してもショックを受けて止めてしまうということがないのだ。
共感、応援する力
無論、人間だってやる時はやっている。トヨタ自動車が世界に広めた言葉で「KAIZEN(カイゼン)」がある。このカイゼン活動により、作業者の知恵を生産設備に織り込むことで同じ設備を使う他社に差をつけたり、不足するものをすぐに買うのでなく、自分たちで制作・改造することで投資を抑制することを狙ったりする。そのカイゼンすべきポイントを見つけるために取られた方法が、「何故?」という問いを5回繰り返すことだとされている。1回だけの何故ではポイントにたどり着くことはできず、それを繰り返すことで探しあてるのだ。
「何故」を5回。「しつこい」と言えば性格が悪いように受け取られがちだが、「情熱的」、「集中力が高い」、「粘り強い」などと言い換えれば良いだろうか。それでも人間がやる以上、その過程ではとんでもない失敗に落ち込んだり、時にはどん底に落ちて生きる希望さえ無くすことさえある。でも悩んで、悩んで、それを乗り越えようとする過程が、人間にしかできないところでもある。起業した時だってそうだが、ゼロから何とか這い上がろうと努力をするから、周囲から共感を得られたり、応援してもらえるのだ。
人間らしさで勝負
1つの答えを求めて、それに速くたどり着くには人間はAIに適わないだろう。私たちは学校生活の中でも、常に答えを速く出す練習を強いられてきた。でも、これからの時代、答えは実際にはAIが人間に代わって行うことになるに違いない。その方がずっと効率的だ。でも、それと同じくらいに大切なのは、生きていく上で私たちが立ち向かわねばならない課題には、答えのないものがとても多いということだ。起業の行く末なんて、誰も答えを持っていない。逆に、答えが分かっていることなんて、わざわざ人間がやる意味がないとも言えないか。
これからどんどんイノベーションが起こり、新しい産業が生まれ、文化の在り方も変わり、情報ネットワークで人と人が結び付けられていく世の中には、答えのない課題がますます多くなっていくだろう。それでも、私たち人間は生きていかねばならない。そして、それこそがより楽しい人生を送れるチャンスであるという風にしていかねばならない。
AIに任せられるところで勝負をしても仕方がない。これからはより人間らしさを追求できる良い時代なのだとむしろ思いたい。