【目次】
不祥事を起こす前に
企業の不祥事が後を絶たない。日本を代表する大企業がこうではと嘆きたくもなるが、では表ざたになって伝えられるところがすべかというと、それはまだまだ氷山の一角で隠れているものは多いに違いない。表に出るか出ないかの違いで、だからたまたま表に出たことの間の悪さにオロオロして、対応が後手に回っているのだろうと勘繰りたくもなる。
大企業だから取り上げられているという側面もあろうが、その大企業でさえ一歩対応を間違えば存続に関わる危機に陥るのが現代だ。増して中小企業ならひとたまりもない。だからというか、そうだからなおさら、極めて消極的な理由ではあるが中小企業は法令遵守や社会の倫理的な責任を全うしなければならない。
最近、企業を回っていて、CSR(企業の社会的責任)について時々問い合わせを受ける。「CSRってそもそも何?」「うちは税金も払っているし、従業員を抱えて地域貢献もしている。立派にCSRは果たしている」「CSRって金にならないんじゃないか」…。いろいろいわれるが、昔から目先の仕事が忙しければ、中長期的な経営の視野が疎かになりがちだ。CSRは目先の業績には関係なくても、もしそれを疎かにすれば特に中小企業にとって危機につながる可能性が大きいことは言うまでもない。大企業が不祥事で揺れている今、もっとこのCSRを積極的にそれぞれの企業が取り組むきっかけとしなければならないのではないか。
守りと攻めのCSR
CSRの定義はいろいろあるが、私は「守りのCSR」と「攻めのCSR」があると理解している。
「守りのCSR」は今の不祥事にも問題とされている「法的責任」のことだ。企業も社会の中で生きている限り、当然に社会的存在として法令遵守は果たさなければならない。これは誰にも異存はなかろう。例えば、サービス残業の禁止なども法令によりうたわれている。そうした社会のルールを守ることは至極当然のことだ。また、取引先に対しても、下請法の遵守や独占禁止法による公正な取引の遵守が求められているところだ。国家・地域に対して税金を支払ったり、労働基準法で定められている最低賃金を守ることも当然である。
しかし、それらは企業が社会的存在として認められる必要条件ではあっても、それだけで消費者から支持される十分条件ではない。「法は倫理の最下限」という言葉が示すように、社会的存在として認められた企業が果たすべき、最低限度の責任でしかない。
最近はその「法令遵守」に加えて、「倫理的責任」を求められることも多い。特に海外では人権を無視した劣悪な環境での労働などは自主規制がなされているところだ。年齢や国籍、性別、障害の有無などによる差別を無くした採用や登用などもこれに該当する。
また、地球環境保護や商品の返還や交換の自由を保証する顧客満足活動なども、この領域に入るだろう。
戦略的な発想で社会と向き合う
法令遵守までは当然として、倫理的責任までとなると、なかなか企業の対応にも濃淡があるのではないだろうか。しかし、それでもまだこれらは「守りのCSR」でしかない。ここで提唱したいのは、さらにこの上をいく「攻めのCSR」だ。
攻めの貢献活動への取り組みとは、「社会貢献的責任」ともいうべきものだ。これは消費者利益の保護、社会貢献・文化支援活動への取り組みなど、社会への積極的な貢献活動を指し示す。
例えば、ボランティア休暇制度の設置によって、従業員の社会貢献活動を支援する。また、女性が働きやすい職場を目指して、育児休業や企業内託児所を整備するなどの働きやすい職場環境を整えることも入ってくるだろう。先日は大阪府枚方市の食品加工機械を製造している企業が今年度から地域に開かれた保育園を開設したことでニュースに取り上げられていたが、これももともとは社員の働きやすさを追求した施策の一つだ。しかし、地域にもその目を向けたことで、地元にも知られた企業となり、その結果人手不足の解消にも役立っている様子だ。
こうしたことは従業員を重視する姿勢が元にあるのが特徴で、社会的なコストとして戦略的な発想で取り組んでいるところが、「守りのCSR」とは異なるところだ。
経営の土台にCSRの発想を
「従業員を雇っているから」「税金を払っているから」CSRについては問題ないと考えることとのレベルの違いは明らかだ。それらは言ってみれば企業が社会の中で活動するための最低限の義務でしかない。「何を目的に事業を行っているのか」「何故それが必要なのか」を考え、「その事業責任を果たすために社会とどう関わりを持つべきなのか」を突き詰めて考える必要がある。それは企業の社会における役割が時代とともに変わったからである。モノやサービスを供給しているだけで社会的な存在意義が認められた時代とは異なるのだ。
CSRと言ってもいきなり特別なことをする必要はない。まず自分は何者で、社会に何ができるのか(何を特徴にしているのか)を明確にするところから始めよう。それは販促の考え方と同じだ。何も特別な考えでないことは、江戸時代の石田梅岩や三井家、住友家、それに近江商人などの商人に代々引き継がれてきた家訓とも通じることから分かる。それがただ今までは一部の企業の考えに留まっていたが、これからは大企業はもちろん、中小企業であっても企業経営の土台に据えていかねばならないところが大きく異なるのだ。自社の社会に対する責任を、今一度じっくり考えるところから取り組んでみなければならない。