【目次】
「いざ」という時、正直にぶつかれるか
さて、関西学院大学ファイターズと日本大学フェニックスのアメリカンフットボールの定期戦で、日本大学の選手が悪質なタックルを関西学院大学の選手に食らわせた「事件」のことである。その悪質なタックルをしでかした日大の選手は、日本記者クラブという場所で、百戦錬磨の記者たちから容赦ない質問を浴びせかけられた。カメラも彼の一挙手一投足を逃すまいと構える中で、言うべきことをきちんと自分の言葉で言い切り、自己弁護や責任転嫁は一切しなかった。まだ20歳になったばかりの青年である。
彼のしたことは非難に値するとはいえ、その態度は翌日行われた日大アメリカンフットボール部の監督とコーチの会見と比べても立派だった。その会見では保身のための言葉しか聞くことはできなかった。監督とコーチ、両者とも青年の真摯な証言を否定しながら、逃げ道を必死で探っているようにしか映らなかった。その姿は、「真実を語ろう」と決めた人間には到底見ることができなかった。
この20歳の青年と、人生の荒波を幾度もかいくぐってきたであろう監督、コーチの対象は一体何だったのだろう。それは、裸一貫でやり直す覚悟を決めた青年と、これまでに様々な努力を重ねて地位や名誉を手に入れた人の差かもしれない。守りたいものが増えれば増えるほど、人間は「いざ」という時に守りに入り、弱くなるのかもしれない。
相次ぐ企業不祥事の後味の悪さ
このことは決して他人事ではない。もし何らかの判断を誤り、この監督やコーチのような立場に立たされた時に、青年のような態度を取ることができるか。相次ぐ企業の不祥事で謝罪会見が珍しいことでなくなっている今日だが、そのことは決して容易なことではないことを示している。
最近の事例を挙げるだけでも、神戸製鋼所によるアルミニウム、同製品の検査データの改ざん問題は対象となる製品が納入された業界は幅広く、日本の工業技術への信頼を失わせるに十分だった。日産自動車は無資格の従業員が完成検査に携わっていた問題の影響で、販売台数の落ち込みが避けられなくなった。三菱マテリアルは本体だけでなく、グループ会社でも不正が発覚。東レも子会社でタイヤ補強材のデータの改ざんが明らかになったことは記憶に新しい。
いずれも日本を代表する企業である。その企業でさえこの有様だ。三菱マテリアルの竹内社長は、不正が徐々に明らかになるにつれ謝罪会見でのお辞儀の角度が深くなっていった。特に三菱マテリアルの事案は、その対応のお粗末さに業界関係者をあきれさせたことが伝わっている。過去にも有力子会社で不正があったにも関わらず、その後の監査はあまりにずさんで、対応が遅すぎたのだ。
こうした企業で不祥事がなくならないのは、大体において直接不正行為を行った従業員のコンプライアンス意識の低さに責任を転嫁し、最初の時点で踏み込んだ調査をしないためだ。その結果が信頼回復を遠くさせ、名門の看板に傷をつける事態を招くことになっている。
変なプライドは捨てよう
それなら起業したての人ならどうかというと、これが案外守るものを抱えていることも多い。もちろん、家族などは守る対象として当然だし、それが起業に当たっての原動力にさえなるだろう。しかし、これまでの「実績」に自信を持つ「変な」プライドを捨てきれていない人も多い。頭を下げることができない、仕事を進めるに当たっての環境面、例えば、立派なオフィスでの仕事場所の確保であったり、これまで通りに周囲との付き合いを続けたりといったものだ。
特にゼロから起業するなら立派なオフィスは必要ないし、当然実績が伴うまでは、仕事を優先する中でこれまで通りの付き合いができないことも出てくるだろう。時々、企業に働いている人でも、信条的にならともかく、条件的に「自分は○○がないとダメなんです」という人を見かけるが、そのような人は起業家には向いていないと言える。こうしたことは、これまでの経験から見て年齢に関係なく、持つ人は持っている。
それが目標になっているのならともかく、ただ単なる見栄であるとか、漠然とこれまでの慣習のように引きづっているだけなら、そんなプライドは今すぐ捨てた方がいい。早い話、起業に当たって、「高級車に乗る」ことが目標だっていいわけだが、何となく「これまで乗っていた高級車を手放したくない」という気持ちなら、起業家にならない方がいいのだ。
中小企業は攻めよう
日大アメリカンフットボール部の選手は、上記の会見を受けて選手一同が声明文を出している。その一節に「私たちは、監督やコーチに頼りきりになり、その指示に盲目的に従ってきてしまいました。それがチームの勝利のために必要なことと深く考えることも無く信じきっていました」とあった。
程度の差はあろうが、企業の中でも権力を持つ経営者とその心中を忖度する中間管理職、そしてそれらに服従する従業員の姿は、どこも似たようなものではないだろうか。経営者層と従業員の間にコミュニケーションがあればまだいい。それを持ち合わせていない組織は地獄になるだけだ。
「個性を重んじる」と掛け声だけはいいが、上意下達の縦社会に安住する方が企業としては治まりがいいのは事実だ。守るものが多い時はなおさらだ。本気で事業の発展を望むなら、守るものはできるだけ少ない方がいい。それは大企業より中小企業の方が適している。今回の事件は私たちにもいろいろなことを考えさせてくれるいい機会のように思う。