【目次】
混同が目立つ現実
リスクと不確実性。似たような言葉でその実、これほど使用が混同され、それが故に問題の在りかを間違わせている言葉もないように思う。この違いは以前からも多くの学者らが指摘をしているようだ。初めてこのことを指摘したのは20世紀前半に活躍したアメリカの経済学者フランク・ナイトという人物であるとされている。
そこで指摘されたのは、リスクとは「起こりうる事象が分かっていて、それが起きる確率も予め分かっているもの」。一方、不確実性とは「起こりうる事象が分かっているが、それが起きる確率が事前には分からないもの」とされる。ただこれだけだと、まだ何だかよく分からないかもしれない。
不確実性は除去の対象
先行き不透明な時代。混迷を極め、不安が蔓延している時代の中、将来どのような道を進むべきかといった指針となるような羅針盤も存在しない今の時代を称して、「不確実性の時代」といったのはハーバード大学名誉教授のジョン・ケネス・ガルブレイスだった。1978年、今から40年も昔の話しだ。
このように不確実性というのは、評価システムや社会的、法的な受け入れが揺らいでいることを指す。政治の枠組みの不安定性や行政判断の裁量性が排除できないときなどは、不確実性の闇が深いといわねばならない。
決してリスクが大きいのではない。「リスクは内在的で回避できないが、不確実性は除去の対象である」と経済評論家の田中直毅氏はいう。
困難さをすべてリスクのせいにしていないか
良い例が、あの「日本資本主義の父」ともいわれる渋沢栄一だ。渋沢栄一の公に対する強い思いは、欧州視察の後、産業活性化の仕組みづくりに収れんしていく。
「株式会社の興隆、金融資本主義の活況を欧州で実地に確かめた彼が、今日でいう不確実性とリスクとに一線を引いた点が重要であろう」と田中氏。
まだ見ぬ将来についてはリスクが当然ついて回る。事業の成功は事前に保証され得ない。だからこそ、その実業の醍醐味が人々を酔わせるのかもしれない。しかし、何でもかんでも困難なことをリスクとして片付けるのは間違っている。
例えば、先ほどの政治の枠組みの不安定さはリスクではなくて、不確実性の問題なのだから工夫すれば避けることはできる。
ビジネスチャンスをつかむ知恵と行動力を
私たちは、何か事を起こそうとするとき「リスクが大きい」としり込みをする前に、本当にそれがリスクなのか、不確実性の問題なのかをもっと考えるべきではないか。困難の度合いが大きいと、自分ではどうしようもない、つまりリスクが大きいといたずらに片付けてしまっていないだろうか。
不確実性に挑むのは起業の一つの在り方でもある。それはイノベーションを生み出す可能性すらあると考えている。実際、今の不確実性の大きい社会環境の中で新しいビジネスの種、アイデアの競争が過熱している。目の前の困難さを見極め、ビジネスチャンスとして活かすだけの知恵と行動力を持ちたい。