【目次】
エジソンの再出発
「私は67歳ですが、明日いちからまた出直します」「これからは今まで以上の成長を続けてみせる。へこたれるものか」
これは、発明王トーマス・エジソンが、それまでも挫折を重ねてきたうえに、ウエストオレンジにあった研究所と蓄音機の工場が爆発炎上し、ゼロからの再出発を余儀なくされたとき、取材に来た新聞記者に話した言葉だそうだ。この火災による損害は計り知れず、さすがのエジソンも「何もかも失った」と認めるほどだったという。
しかし、エジソンはその話した言葉通り、簡易ベッドで仮眠をとると、すぐに自宅に戦闘指揮所を設置し、自ら再建の指揮を執り始めたそうだ。
発明から事業化まで考える
当時の67歳と言えば、今では80代、90代に相当する年齢だろう。人間は諦めることがなければ、いくつになっても再出発できるのだと勇気づけられる。
「エジソンには他の発明家にはない2つの特徴があった」と、経済・経営ジャーナリストの桑原晃弥氏は話す。
「一つは、発明よりもそれを事業化することの大切さを理解していたこと。
もう一つは、発明はニーズに基づくものだという信念を持っていたこと」。
言い換えれば、エジソンは発明から事業化までをトータルで考える思考の持ち主であり、その根底には成功するまでは決して諦めないという発明家としての強烈な執念があった。
ひらめきを形にする
「エジソンにとっては、ひらめきと実行はイコールでした」と桑原氏。
「しかし、多くの人はせっかくいいアイデアを考えても『どうせやっても無理』『やるだけ無駄』と考えてそこで止まってしまいます。これではせっかくのひらめきも生かすことができませんし、やがてはひらめくことすらなくなってしまいます」。
ひらめきは問題意識や現状への不満を何とかしたいと思うところから生まれる。大切なのは、そのひらめきを形にしてみることと教えてくれている。
たとえ小さなひらめきでも、形にすることでそこに新たな問題が見えてくるものだ。大小に関わらず、失敗を恐れることなく行動に移し続けていると、その連続がまた新たなひらめきを生む力になっていく。
ひらめきの社風づくり
それは会社でも同じことが言えるだろう。誰かが発見した問題点をチーム、時にはチームの枠を越えて全社員がお互いの長所を生かして解決するサイクルができれば、そこにひらめきの社風が生まれる。
発明家にはひらめき型と努力型があると言われ、エジソンはひらめきも多かったものの、むしろ実験の試行錯誤の中で成功をつかむ努力型であったとされる。
「エジソンが考えた何百、何千というひらめきを形にしていったのは、研究所や工場で働く現場の仲間たちだった。エジソンが世界の発明王と称えられる背景には、そういう仲間たちの血のにじむ努力があったことも忘れてはいけない」と桑原氏も話している。